劇社瀑組とは

劇社瀑組は、1985年に 一人 により結成されました。旗揚げ公演『恋をしにゆく』(構成演出・瀑一人)以来、「シェルター」、梅田「カラビンカ」、AIHALL(伊丹市立演劇ホール)などにおいて、度々公演を行ってきました。1995年の「発展的休団宣言」後、長らく活動を停止していましたが、16年を経た昨年2012年、新作『櫻の森の満開の下』(作演出・瀑一人)で復活しました。

 このほか、『演劇ワークショップ 劇的なるもの、より劇的なるものを求めて』をこれまでに二十数回開催し、修了生は現在関西小劇場のあらゆる方面で活躍しています。

団員紹介

瀑 一人

1973年より大阪の人気劇団の一つ上方小劇場に所属。当時のメッカ「島之内小劇場」、「扇町ミュージアム」、「阪急ファイブオレンジルーム」(こけら落とし『一寸法師』(福田善之作)では主役を演じる)などにおいて、中心メンバーの一人として活躍。30作品以上に参加。1984年、新天地を求めて退団、1985年劇社瀑組結成。旗揚げ公演 『 恋をしにゆく 』 以降、15作品を手掛ける。1995年に発展的休団宣言。昨年2012年11月の復活公演『 櫻の森の満開の下 』では二十年ぶりに役者として舞台に立つ。

 

埴生美伽子

歌う女優、もの語る歌いびと。子どもの頃より、ミュージカル、ライブ活動を経て、いつの間にやら毒入りエンタメ、癒しボイスワールドを渡り鳥。子どもから大人まで、さまざまな年齢層のミュージカルやショーの企画演出、ユニークな演劇講座も手掛ける。独自のメニューによる「埴生美伽子ヴォイスレッスン〜心に届く声、歌を、まずは自分に届けてみよう」教室開催。(個人レッスン受講希望は劇団迄問合せください)1987年、瀑組入団。以降ほとんどの公演で主演を務め、劇社瀑組の独特な世界を体現する。

3オクターブを駆使した声色を使った歌、芝居、踊り、多種多様な表現を持つ稀有な女優。第32回日本アマチュアシャンソンコンクール最優秀歌唱賞<グランプリ>受賞。2016年10月2日受賞記念リサイタル開催決定。

 

野朴

学生時代から芝居を観るのは好きだったが、自分がやるなどとは考えてもいなかった。働きだして数年経ったころ、ひょんなことからあるところで芝居をやることになってしまった。しかし稽古をする中で、本当にそこで自分が生きているような気がした。そのことが心のどこかにずっと潜み続けていた。1988年、瀑組のワークショップに参加。魅せられてそのまま居ついている。

 

有希

1989年に瀑組と出逢い、翌年より参加。
一途な想いを表現することに惹かれ、瀑組復活の今、再び芝居を始める。

 

後藤陽子

1992年の「桜の森の満開の下」を観たことで、瀑組とのかかわりが始まり、休団宣言を経てぷっつり切れた縁。
芝居との縁もきれて20年近く。
ふとしたきっかけで知ることになった復活公演も「桜の森の満開の下」。
また、瀑組とのかかわりがはじまり…。
人間の縁とは、不思議なもの──


紗季

2012年、チラシで見つけた復活公演  『櫻の森の満開の下』 のワークショップにひょっこり参加したことから、思いがけず初めての舞台に立つことに。四苦八苦しながらも、公演ではソロで歌わせていただくという幸運にまであずかる。瀑組最年少として、昨年、IT担当に就任(?)。当HP、およびブログの管理人。訳あって、アラサーだけどまだ学生。スウェーデン語を勉強中。

現在スウェーデン留学中。

スタッフ紹介

江崎昭子作曲・編曲・ピアノ演奏)

クラシック、ジャズ、ポピュラーなどジャンルを問わないピアニスト。

関西の劇団、音楽グループの作曲・編曲・演奏を手がける。

瀑組公演では、劇中歌 「明日 生きていたら」(作詞:瀑一人/作曲:江崎昭子)が好評を博し、独自のアレンジの世界で観客を魅了。

『櫻の森の満開の下』ピアノ生演奏、埴生の一人コーラス多重録音「通りゃんせ」編曲(上記森山YouTube2012アップ)、『夢きれぎれ』ピアノ生演奏、劇中歌作曲・編曲。

『11月の熱砂』キーボード、メロディオン演奏。